藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」

 

投稿者:まいこさん

 

大河ドラマ「光る君へ」で、道長がまひろに送った恋歌として登場する「古今和歌集」の注釈書が発見されました。

 

 

藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」

https://news.yahoo.co.jp/articles/846030fb42767b50dc3a217961468f7328def604

 

元記事

https://mainichi.jp/articles/20240419/ddm/001/040/081000c

 

 

鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。

 

子孫の冷泉家(京都市上京区)で保管する木箱を約130年ぶりに開けたところ、収められていた。

 

同書の写本の中には国重要文化財に指定されているものもあり、原本について専門家は「国宝に値する」と評価している。

 

***

 

藤原道長の六男・長家を祖とする御子左家(みこひだりけ)から輩出された藤原定家は、「小倉百人一首」の撰者でもあり、その子孫が冷泉家。

 

明治維新の際に、天皇と共に公家も東京に移った後も、京都御所の北側に位置する公家屋敷で文化財を守り続けています。

 

愛子さまが卒論でテーマとされた「式子内親王とその和歌の研究」、情熱的な和歌を詠んだことで知られる式子内親王は、藤原定家と親しく「小倉百人一首」には「忍ぶ恋」をお題とした歌が選ばれています。

 

 

玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする

 

 

愛子さまが親しんでこられた古典と大河ドラマのテーマに因んだ発見に心躍らせています。

 

 

 

投稿者:グッビオのオオカミさん

  

 

鎌倉時代の歌人・藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、京都で発見 専門家「国宝級だ」(京都新聞)

https://news.yahoo.co.jp/articles/982dc9dab71882d85d9ffb5ace9f83ab1cac7d75

 

古典文学に「古今和歌集」。

 

藤原定家の直筆の古今和歌集の注釈書の「顕註密勘」の原本が2冊、京都の冷泉寺家の時雨亭文庫から新たに発見されました。

 

今まで写本は多数残るも原本が見つかったのは初めての事です。

 

歴史学や文献学など、こうした新たな発見により従来の仮説がアップデートされ続けて行くのでしょう。

 

まだ旧家などから色々な文献の原本が見つかるかも知れません。

 

 

ロマンが尽きない話だと思いました。


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コメント: 3
  • #3

    希蝶 (水曜日, 24 4月 2024 20:37)

    定家直筆となると…やはり凄い、貴重な文献としか言わざるを得ないです。冷泉家は定家の直系の家で、『十六夜日記』の阿仏尼の子孫でもあるから、多分…本物なのでしょう。

    少し補足すると、冷泉(れいぜい)家は「羽林家」といい、「摂家」・「清華家」・「大臣家」の次に出世できる家で、清華家以下は家業、何らかの伝統技能を代々継承してきています。冷泉家の場合は「和歌」で、同じく定家の歌道を継承している家に「三条西(さんじょうにし)家」があります(この家は定家の子孫ではなく、直系の一つである「御子左流の二条家」が断絶したのち、その歌風を受け継いだのだそうです)。
    「冷泉家」も「上冷泉家」と「下冷泉家」の二つに分裂しています。この場合の冷泉は…京都に邸宅が残っているということから、上冷泉家の方なのでしょう。
    昭和天皇の侍従で有名な入江家も、冷泉家の分家です。

    『源氏物語』も藤原定家が本文を選定した「青表紙本」が権威のあるものとされており、また定家筆の「花散里」「行幸」「早蕨」「柏木」の四冊が現存しています。『源氏』の場合、できれば紫式部本人の筆が残っていればいいのですが…それはどうも不可能に近いようです(作者自身が何度も書き直しをしている可能性もあるから)。

    また、何をもって本文の優劣を決めるのか、と言う問題もあります。よしりん先生も「権威を疑え」とおっしゃられますが、藤原定家が選んだものならすべて(文学的に)優れているとは言えないわけです。定家の時代だって、藤原道長の時代よりも200年位離れているわけですから。
    こういう問題は古今東西の文献や古典につきものの話なのかも知れないです。

    …以上、物知り話を記しましたが…私自身の希望としては、定家直筆本や青表紙本も希望ですが、ほかの古典、「夜の寝覚」とか「浜松中納言物語」の散逸してしまった巻とか、どこかの旧家の倉あたりから発見されないか、と願います。

  • #2

    京都は謎の大学 (水曜日, 24 4月 2024 01:03)

    今回の経緯は分かりませんが
    こういう歴史資料の発見の公表はゼロから見つかったのではなく、存在は分かっていても整理中だったり、時期を見て、例えば大河ドラマの放送年代で発表したりすると、昔史学科の先生が言ってたような気がします

  • #1

    リカオン (火曜日, 23 4月 2024 19:42)

    昔の人が、さらに古い昔の人の文学を研究する。日本の文化が長きに渡っている事、過去を調べ研鑽する学者がいたという事を確認できるニュースですね。