大谷翔平の絵本から水原一平の姿が消える

 

投稿者:さとがえるさん

 

大谷翔平の「絵本」から水原一平元通訳の姿消える…出版社認める「大谷選手サイドと協議した結果」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e4435d7ecf428ff009efc3d6d1748ffca17cce

 

米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手の半生を描いた絵本『野球しようぜ!大谷翔平ものがたり』(3月20日発売)から、水原一平元通訳の登場シーンが消されたことがわかった。

 

絵本の第3刷から大谷サイドと相談し、修正されたとのことです。

 

大谷サイドとの交渉の結果であり、功績すべてがキャンセルされたものではないと思いますが。

 

どこが適正な線引きなのかは自分も考え続けたいと思います。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント) 

 

これは適切な処置だと思います。

 

「大谷翔平という物語」に水原一平が登場すると、気が散ります。

 

「野球しようぜ!」という絵本の主旨からしても、

 

水原一平を削除した処置は適正だと思いました。

 

 


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コメント: 4
  • #4

    山田山田男 (火曜日, 30 4月 2024 20:14)

    逆に水原一平ものがたり
    も読んでみたい気がする

  • #3

    新米派 (月曜日, 22 4月 2024 19:04)

    水原一平さんに関しては、この絵本に限らずWBCなどでの過去映像の取り扱いが論議されるなどキャンセルの対象となりつつあるようです。
    水原さんのことはキャンセルカルチャーの定義に当たらないと構えるのか、あるいは良いキャンセルカルチャーと悪いキャンセルカルチャーがあるとするのかは論者によるのでしょう。一言で本質を説明できるかのように思える万能語は、乱用され易さゆえに使用者の思想探求力を衰えさせる副作用もあります。前記の択一で自分は後者の立場を採りますが、いずれにしてもキャンセルカルチャーの定義や意義を更に深く細かく論考する切っ掛けになるなら喜ばしいことです。

    他の多くの事案とは異なり、水原さんの件は「大義なき大衆リンチの結果としてのキャンセルカルチャー」ではない(つまり悪いキャンセルカルチャーではない)と自分は理解しています。
    むしろ、一時的とは言え大谷翔平さんの方が、自説に拘り続ける一部の大衆又は専門人のリンチ的言述によってキャンセルされかけたという方を特筆したいところです。
    大谷さんに関しては、彼の分かり易い潔白行動とそれを裏付ける各機関の声明・判断によってキャンセルの企てを早期に鎮圧できました。しかしこれは特殊な例と言うべきでしょう。
    大概の事件・人物は、全体として嫌疑なしだとしても、一部に非合理的な行動があったり、観測者を疑わせる過去や物言いがあったりするものなので、それが陰謀論者の炎上工作に燃料を与えることも多いです。これに加えて大谷さん並みの知名度や好感度を持つわけではない大多数の人物は、熱心に味方してくれる人々を抱えているわけではないゆえに、事件が忘れ去られても「結局どういう事件だったのかあんまり覚えていないけど、なんか色々怪しかったらしいね」と、無関心な大衆の記憶には曖昧な負の印象だけがなんとなく残ってしまいがちです。

    なお絵本に関してのみ言えば、「大谷さんは水原さんを信頼していました。でも水原さんは大谷さんから24億円盗みました。24億円あれば、約2万校ある国内小学校に4万円相当のグローブを3個ずつ配ることができますが、それはともかく大谷さんは今日も夢に向かって走り続けます。」的な記述でも悪くないのではと個人的には思います。
    外国の説話・昔話の事情はよく知りませんが、日本のそれはどういう創作意図があって何を教訓としたいのかよくわからない、勧善懲悪や弱肉強食だけではとても割り切れない物語が多くあります。近年の児童向け絵本はそうした乱雑性が脱色されているようですが、子供に思想や教育を押し付けず、幼稚なままの読解力や応用力に放任する物語がたまにはあっても良いのではと自分は思います。

  • #2

    千本通り (日曜日, 21 4月 2024 17:01)

    水原を出すと話が複雑になるので、子供向けとしては削除でいいのでは? 中学生以上になると、水原の事件も知っておいていいと思う。

  • #1

    Dr-mukimuki (日曜日, 21 4月 2024 16:25)

    線引きの基準こそが常識なのだと思います。