≪哲学≫ サルトルの実存主義を考える

 

投稿者:ひとかけらさん

  

サルトルの実存主義を考える

https://diamond.jp/articles/-/338431

 

この間のチェブリンさんに保守思想を分かるまで教えるのDOJO面白かったです。

 

思想とは物事を深く考えて解決策を見出し、イデオロギーとは凝り固まった考えに固執することだと思いました。

 

サルトルの考え方は無神論的実存主義と呼ばれています。

 

神は存在しないのだから人間や世界の本質を決定するのは人間自身だと彼は主張してますね。

 

人が生まれ成長し、自分にとって良い環境を作るために外界に向かって主体的に働きかける自由を持ってると言えます。これには賛成出来るところもありますが少し疑問が湧きました。

 

自由な個人が利己的に行動し、自分に都合のよい社会を作ってしまうのは問題ではないのか?

 

そこにあるのは自分勝手で世の中の殆どの人に益をもたらさない害悪ではないのか。

 

権力と追随する者たちが結託して自分たちに都合のよい日本を作ろうとしてる最たる例の1つが男系固執です。

 

凝り固まったイデオロギーで革命を起こしても残るのは皇室消滅という焼け野原です。

 

サルトルの実存主義は全共闘運動にも影響を及ぼしたと記事に書いてますが、「革命ゴッコ」に手を貸すことへの可能性を考えたことがあるのでしょうか。

 

思想がイデオロギー化しないように私も注意せねばならないと思いました。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

  

人は「自由」に耐えきれなくなって「イデオロギー」に走るってのは、分からなくもないです。

 

たとえば私は「昼メシ何を食うか?」を考えるのが面倒臭くて、人に決めてもらいたいタイプなんです(笑)

 

ただ、それでマズい飯を食べたとしても「文句を言う資格は無い」わけですね。

 

 

同じ失敗をするにしても、自分の選択で失敗をしたい。

 

そうすれば「反省」することができるし、「次に活かす」に繋げることができる。

 

その営みを「歴史」という形で継承できるのが「国民」の強さではないでしょうか?

 

「神」よりも、「国民」の方が強ぇ!

 

 

・・・サルトルをまだ読んでいない私ですが、「昼メシ」からでも、人は哲学者になれるんじゃないかな?(笑)


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コメント: 12
  • #12

    タロー.G (土曜日, 23 3月 2024 16:25)

    今日、地元の図書館に行ったら、リサイクル本でサルトルの「嘔吐」と、よしりん先生と田原総一朗氏の「戦争論争戦」がありましたので、何かの運命と思い、1冊100円で引き取りました。まずは「嘔吐」、読んでみようと思います。
    https://x.com/gtaro2nd1/status/1771429036126056590?s=61&t=CuGPtAQ5t0OqFD-D18n88Q

  • #11

    実ゾーン (土曜日, 23 3月 2024 14:31)

    どんな事象でも原理的に「今こうである理由は○○だからだ」と後から根拠を探すしかない。
    つまり本質というのはしょせん設定にすぎないという事になります。
    しかし人間というのはこの本質を設定しなければ不安で苦しい。
    ですからよりよい設定を選択することが重要になりますが
    問題なのは設定である事を忘れて絶対的な真理であると思い込む事ですね。

  • #10

    グッビオのオオカミ (金曜日, 22 3月 2024 23:18)

    なるほど、ひとかけらさんは"「個」の強さ"を実存哲学に見るわけですね。
    確かにコロナ禍や皇統問題やキャンセルカルチャーで見られたのは結局は「世間体」と「体面」に振り回されている「魔女狩り村」現象でしたから、それを克服する"個の強さ"を求めるのはよく分かります。
    孤独を引き受けるとは、どういう事か。
    これはこれで大切な話だと思います。

  • #9

    ひとかけら (金曜日, 22 3月 2024 21:35)

    自分だけが自分という存在を主体的に確立し定義付けることが出来るが代償として恐ろしいほどの孤独を味わうことになり全ては自己責任。
    タローGさんに教えて頂いた動画を見て戦慄を覚えました。
    民主主義という病で小林先生は実存主義の作家たちにパワーを与えられたと言ってました。先生は恐ろしいほどの孤独に耐え、世間に媚びへつらうこともなく王様は裸だと主張し日本という国を引っ張ろうとしているのは驚異的です。
    よしりん先生が突撃できるのも日本という国に生まれ連綿とした歴史を重視し、天皇陛下という公の体現者を魂に刻み込んでるからだと思います。
    まいこさんの言ってるように長い歴史を連綿と受け継ぎ自然に日本人の心に存在してる、天皇陛下は諸外国からしたら羨ましい感情が有るのでしょうね。公の体現者をキャンセルされてたまるか。

  • #8

    グッビオのオオカミ (金曜日, 22 3月 2024 19:56)

    もう一度記事を読み直しました。
    サルトルの元の本を読まずに記事から推測するものおかしな話ですが、私はサルトルもまた「囚われている」と思います。
    近代思想に囚われています。
    サルトルが立てた問いは、ソクラテスやセネカの時代にはあり得なかった問いだと思います。
    結局は欧州なりの権威と権力を巡る歴史があり、出て来た問いだと思うのです。
    私はサルトルが言う事は結局は単なる「自我主義」になるのでは無いかと思います。
    人が生きる。人格を持つ、自我を持つ。
    社会なり、祖国なり"ルーツ"無しに人はバランスを保て無いと思います。
    社会や他人を私が自力で作れない限り、完全な自由は無いと思うのです。
    まあ、元の本を一冊も読まないうちにこれ以上サルトルを推測しても仕方がありませんが。

  • #7

    まいこ (金曜日, 22 3月 2024 15:03)

    「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」で、「私の大嫌いなサルトルが『存在と無』の中で言っておりますけれども、」とサルトルを引き合いに出していたのが何故なのかが、いま一つ分からなかったのですが、こちらの投稿やコメントを拝読させていただいて、なんとなく腑に落ちました。ありがとうございます。
    一神教では、世界は作られて在るもの、多神教では、世界は成りて在るもの。「神は死んだ」を経由して、作る主体を無くし自己存在そのものを懐疑的にみて再構築せねばならない立場から見れば、元々作る主体が曖昧で存在することが自然な上に歴史が連綿と繋がる立場は、実は羨望の的で、破壊願望をかき立てるのかもしれません。

  • #6

    ひとかけら (木曜日, 21 3月 2024 12:37)

    タローGさん:#5

    情報ありがとうございます!

  • #5

    タロー.G (木曜日, 21 3月 2024 12:33)

    サルトルは晩年マルクス主義に傾倒して、日本の学生運動や、中国の文化大革命を賞賛したのであまりいいイメージを持ってなかったのですが、コロナ禍で「アンガージュマン」「人間は自由の刑に処されている」という彼の言葉や、パートナーのボーボワールにも興味を持ったので、改めて「嘔吐」読んでみようと思います。
    私のおすすめのサルトル動画を載せます。良かったら見てください。
    https://youtu.be/BZlmKUyBWMA?si=z1HCXm0-qrTwPw8G

  • #4

    ひとかけら (木曜日, 21 3月 2024 05:31)

    グッビオのオオカミさん:#2

    この記事を読んで自分もサルトルを読んでみたくなりました。
    世界は自分に都合良く出来てないから変えていかなくては身が持たないと誰もが思いますね。
    だからと言って全て自分の思いのままに改変するのは不可能なわけで現実には世間や社会と折り合いをつけて少し不満があっても耐えるのが必要だと感じます。
    全てを自分の思いのままに改変しようとするのは男系固執派か独裁者です。
    キャンセルカルチャーを例にとると現代は権力者による人民の統制が平成の頃より強くなってると感じます。
    世の中は相手次第という側面は有るにせよ
    もっと自由に暮らしたいです。

  • #3

    ひとかけら (木曜日, 21 3月 2024 05:12)

    あしたのジョージさん:#1

    30年近く前に土屋賢二という哲学者の「哲学者かく笑えり」という本を読んだのですが、彼が論理学の本を読んでいて今日はタンメンを食べようと思い付いたそうです。

    束の間の休憩で何を食べるか選択するのは重要ですよね。何を食べるかも実存に関わる問題かも知れないなぁと思います(笑)

  • #2

    グッビオのオオカミ (木曜日, 21 3月 2024 00:07)

    サルトルはちゃんと読んだ事がありませんが、ひとかけらさんと、カレーせんべいさんのコメントは面白いです。
    紹介された記事を読む限り、クセの強そうな哲学者ですね、サルトル。
    ただ、サルトルは神も国家も全て無しで「自由」に生きる人間を考えていたのでしょうか、私はそれは無理だと思うのです。
    神でも国家でも"物語の伝承"があるもので、人間が基本や前提となる物語を抜きに、全てをオリジナルに選択出来るものでも無いでしょう。
    また、日常を生きる時にも、国民としての自分や家族の一員としての自分など、置かれた状況を時に意識しつつ自分を律しているものでしょう。
    全てを疑問に思い「相対化」する事は出来ても、全てから完全に自由という事は無いだろうと思います。

    皇位継承問題の男系固執派が何を考えているのか分かりませんが、彼らがしている事は革命というより、責任の放棄では無いかと思います。
    祖国の象徴を守る事より、自分の世間と体面が大事なのでは無いかと思います。
     
    まあ、明日の昼メシ何を食べるか…それは腹具合に聞かないと分かりません。
    昼メシ食う時は、神より国家より昼メシが最強になる事はありますね。
    昼メシ選択の自由は大事だ。

  • #1

    あしたのジョージ (水曜日, 20 3月 2024 22:55)

    ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか〜♪
    ニ、ニ、ニーチェかサルトルか〜〜♪
    の野坂昭如氏の歌でお馴染みのサルトルですね。
    昔一冊ぐらい読んだ事があったようなないような感じですが、実存主義ですかぁ〜
    今の私は毎日お金の心配ばかりで、ある意味実存主義かもしれません。
    違うかなぁ〜 (⁠╯⁠︵⁠╰⁠,⁠)