1000年以上続いた「蘇民祭」を今年で辞める決断をした藤波大吾住職の言葉

 

投稿者:えみりん

  

1000年続いた「蘇民祭」が、祭の中心を担っている関係者の高齢化と将来的な担い手不足に伴い、今年の2月17日開催を最後に今後は執り行わないそうです。

 

ふんどし男と炎が彩る「蘇民祭」1000年の歴史に幕を下ろした住職の苦悩と決断

https://news.yahoo.co.jp/articles/e1945bd69fd86ab2f8bab191a224d7ee65658e4e

 

国指定無形民俗文化財にも指定されている祭りを、自分の代で終わられると決めた藤波大吾住職は、相当な覚悟を持っての決断だろうなと思いました。

 

 

後世まで伝えたいと思ったら、状況や時代によって変化しなければいけないと藤波住職は思われたのかなと感じました。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

1000年続いたお祭りを辞めるという決断は、すごい葛藤があったと推察します。

 

「ただ続ける」という選択肢だって、別に間違いでは無いはずです。

 

しかし、この住職の言葉には頷くばかりです。

 

そのままご紹介します。

 

◆◆◆

 

『自分が住職を務める代で終わらせることに相当な葛藤はありました。しかし、それは単に自分自身の責任だけを考えたにすぎないんです。本当に大事なところは、お寺として残していく信仰(蘇民祭は蘇民信仰、薬師信仰、山岳信仰の祭事)とはなんなのかという話だと思います。』

 

 

『祭りの準備をする方には、人によって替えのきかない役割がある。それが高齢化などで全員に無理が生じているなか、無理やり続けて、突然信仰が途絶えたとしたら…それこそよくない。』

 

 

『さらにたとえ無理をしてお祭りの形にこだわり、「続いているから」だけの気持ちでは信仰とは呼べなくなる。そういった観点も含めて、今回、争奪戦などのお祭りという形は最後にしようと決意したのです』

 

 

『最後だと発表してから、本当にたくさんの方から「手伝います」との声をいただいていて、具体的に「私たちがここをやりますから」という声もある。ただ先ほども申し上げたように、祭事には替えがきかない役割があります。外の人は入れない部分が大きいんです。お寺として、信仰を大切にしていくためにそこは守りたい。』

 

◆◆◆

 

祭りとしての形はなくなるが、黒石寺は旧正月の護摩祈祷などは今後も継続していくとのこと。

 

高齢化・過疎化という重たい現実により、祭りの型が維持できなくなってしまいました。

 

しかしそれでもエートス(魂)を守ろうとする住職のお心に感じ入りました。

 


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コメント: 9
  • #9

    ひとかけら (火曜日, 20 2月 2024 08:21)

    形だけ残った因習は意味が無いという発言ですね。重い決断だと思います。

  • #8

    リカオン (月曜日, 19 2月 2024 20:31)

    地域の子どもを持つ家庭がなくなり、子ども祭りが無くなった。子どもの山車はクリーニングして倉庫に保管してある。
    それよりも昔に無くなった獅子舞の獅子の頭も保管されていた。

    いずれも復活は難しいかも知れないが、いつか復活する時のために。

  • #7

    千本通り (月曜日, 19 2月 2024 12:34)

    昔からある「内容」と「形式」の問題。例え内容が伴っていなくても、形式から新しい内容が生まれるという考え方もあるし、いや、やっぱり内容が伴わないと意味がない、曲解されるという考えもある。住職は後者を選んだ。

    皇室だって形式さえ守れば旧宮家の子孫でいいではないか(例え今は国民でも)、という考えの人もいるし、いや内容が伴わなければ意味がない(女性宮家の創設)という考えの人もいる。しかし実際は旧宮家の子孫で皇室に入りたい人は一人もいないので不毛な議論です。

  • #6

    くれは (月曜日, 19 2月 2024 10:23)

    過疎化、高齢化、少子化、都市部への一極集中・・・。蘇民祭に限らず、地方の祭は存続の危機にあるかもしれないですね。
     
    岩手の蘇民際祭については、詳しく調べていないので推測ですが、これは牛頭天王様と八王子神のお祀りだと思われます。だとするなら、この祭りを行う理由は疫病封じです。
     
    祭はただの伝統文化としてしか見ないと、廃れていくと思います。神仏の存在がそこにあり、神に感謝し共に遊ぶ、もてなすのが祭の意味だからです。ただ歴史があるからでは、人々に真意は伝わらないでしょう。祭りの参加者の中に、どれほど神仏の存在を信じている人がいるのか。

    伝統文化で捉えると、本質を外す恐れがあります。

    名古屋に「日本どまんなか祭」、通称「どまつり」という大きなイベントがありますが、あれは中心に神が存在しない、ただの踊りの発表会です。あれは「どまんなか祭」ではなく「どまんなか騒ぎ」です。

  • #5

    あしたのジョージ (月曜日, 19 2月 2024 06:28)

    サンジャポでも取り上げていました。
    16年ぐらい前にこの祭りのポスターが不快だという意見があって貼ってもらえなかったらしいですね。
    裸の男達が大勢でひしめき合うのが不快だという意見があるとしたら、色んな祭りが出来なくなってしまいます。
    奇祭だと思いますが、長く続けてきた伝統なので、何とか続けてもらいたいところです。
    日本の文化が段々となくなってしまいます。

  • #4

    さらうどん (日曜日, 18 2月 2024 22:43)

    なるほど・・・「エートス(魂)を守るとはどういうことなのか」という思想の実践の一つを見ました。私はそういう風に記事を読んで捉えなかったので大きな気づきにもなりました。ありがとうございます。

  • #3

    枯れ尾花 (日曜日, 18 2月 2024 21:38)

    偶々、この蘇民祭のことが今日のニュースステーションで特集されていました。
    その中で同じ岩手県の一関市の長徳寺は今から10年前に50年間中断していた蘇民祭を復活させたそうです。
    …また、再開出来るようになればそうすれば良いんじゃないでしょうか、エートスさえ守られていれば。

  • #2

    パワーホール (日曜日, 18 2月 2024 20:56)

    コロナ騒動で4年ぶり開催とのことですがその開催が最後になるなんて忸怩たる思いです。

  • #1

    牛乳寒天 (日曜日, 18 2月 2024 19:58)

    住職の深い葛藤が伝わると同時に、同じような問題に直面している方々への心強い御指南にもなっていますね。全く違うフィールドの話ですが、私も身近で似ている状況の問題を抱えていたので、大変勉強になりました。