文化と人権について最近、ふと思うんですよね。

 

投稿者:グッビオのオオカミさん

  

 

 文化と人権について最近、ふと思うんですよね。

サヨク・リベラル派は

・国防に於いて反戦平和主義、憲法9条絶対主義

・歴史認識では従軍慰安婦問題など日本悪玉史観、日本自虐史観

・コロナ禍は感染対策徹底主義

・ジャニーズや宝塚歌劇団や草津町に関しては冤罪であっても事実誤認があっても一切謝らず一方的に断罪する。

・統一協会への追跡と糾弾は良いとしても、その教義の元となる従軍慰安婦問題までは踏み込まない

 

文化と人権。

小林先生はためらわず文化を取ると言って居られました。

サヨク・リベラル派は恐らく、ためらわずに人権と答えるのでしょう。

 

そもそも文化って、「私」一人の文化などあり得るのでしょうか?

 

自分の事を言えば、昔、父方の祖父が京都で昔ながらの米穀店をやっていて、年末には餅つきをしてましたし、年始には祖母がおせち料理の中に「棒だらの煮物」を入れていたな…。

他方、母方の祖父は鳥取県出身で、滋賀に転居して居たのでおせち料理に鳥取県の郷土料理「イギス(海藻を固めたもの。酢醤油が美味しかった)」が出ました。

京都の祖父も、鳥取出身の祖父も、今は祖父も祖母も鬼籍に入っていますが、佇まいは今でも覚えているし、棒だらの煮物もイギスも、当然私が考案したものでは無く、祖父や祖母達が考案したものでもありません。

郷土ごとに代々受け継がれて来た「文化」だと思うのです。

 

また、小学生・中学生と空手を習った事もありました。

それだって、明治の近代化以降の沖縄と本土との交流があり、その中で流派ごとに伝承され「空手道」という日本の文化に成りました。

ブルース・リーが好きだった子供の時の私はそんな事は知らずやっていましたが、ある日練習時間が終わってから、師範に「上段正拳突き」を見てもらいました。

小学生や中学生が相手の道場なので、日頃はそこまで厳しく無いのですが、一対一になると師範は俄然厳しくなりました。

「アホ!四股が甘い!四股や四股!…ン、そや。拳はもっと相手から見えにくく最短距離で人中(じんちゅう。鼻と上唇の間)を狙う。そやからしっかり脇を締めて…ほら!また四股が浅い!何度も四股が大事や言うてるやろ!…ン、そや。」

四股とは「四股足立ち」と言い、相撲の四股の様に深く腰を落とし、足腰を安定させる立ち方です。

この時の師範は本当に厳しかった…しかし「イヤ」では無かったし、嫌いにもなりませんでした。

 

こうして部分的にとは言え師範から武道の厳しさと共に、技術も学べました。

 

これだって「文化」なのです。

 

文化は「私」では無いと思うのです。

家の方針や、郷土の歩みや…何なら国家の歩みすら関係するでしょう。

誰かから受け継がれたもので、もしかしたら「引き受ける立場」すらあり得るものでしょう。

また文化とは生活や生き方そのものに対する、受け継がれて来た「姿勢や態度」だとも思います。

また、文化が郷土や国家の歩みに関連する限り、文化は愛国心や郷土愛にも、通じるものだと思うのです。

もちろん、受け継がれる過程で時代にそぐわないものは都度刷新するもので、そういうものしか残れないものでしょう。

 

結局サヨク・リベラル派は、どこまでも「私」だと思うのです。

人権をあれこれいう背景は「私」の人権、「私」の権利だと思います。また、動機が「私」であるからこそ、草津町の冤罪を平気でスルーし、自分らの言動が「社会」へのダメージを与えた事に関心が無いことにも合点がいきます。

サヨク・リベラル派は自分達が誰かから受け継がれその責任を引き受ける可能性がある文化を恐れている、あるいは忌み嫌うのかも知れません。

また、反戦平和主義が高じて人権を振り回し「日本の弱体化」すら目論見そうです…戦争出来ない国にしたいのでしょうが、それは自殺行為であり、むしろ逆効果だと言う事に気づいていないのでしょう。

 

結局サヨク・リベラル派は表面的に「良い人」の振りはするがその実、誰の事も、何に対しても"本気で愛していない"のではないか?そんな事を思いました。

 

 

 


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コメント: 6
  • #6

    sparky (土曜日, 06 1月 2024 22:27)

    本題から逸れてしまうが敢えて書いておく。ジャニーズはジャニーズで、宝塚は宝塚で、草津町は草津町だ。マスコミに叩かれているものにも白もあれば黒もあれば灰色もあって濃淡はそれぞれだろう。
    二度もやらかしているので極力慎重に、それでも敢えて書くが、4名もの関係者にヒアリングを拒否されながらそのまま引き下がり、指摘を受けると「御勘弁下さい」というのはやはり踏み込みが足りないと思うし、それに対して「これだけ調べて何も出ないのだから」という評価はやや危ういのではないかと思っている。但し何があったのかなかったのかは判らないので、これ以上何かを決めつけるつもりもない。「もう少し頑張って欲しかったけど、外野(マスコミや世間)は相手にせずに、何か問題があったなら密やかに改善に努めて下さい」祈るのみです。

  • #5

    枯れ尾花 (土曜日, 06 1月 2024 14:24)

    幕末だったか明治初期に来日したある西欧人はその後、来日した時に「在りし日のこの国の文明が、人間の生存を出来得る限り気持ちの良いものにしようとする合意とそれに基づく工夫によって成り立っていたという事実だ、一言で云ってそれは情愛の深い社会であった。」と過去形で述べられてました。
    明治以降、人権というイデオロギーが広まり、一方で日本が永年かけて築きあげてきた情愛の深い社会という文明は消え去ってしまったのでしょうかね。

  • #4

    大阪の一会社員 (土曜日, 06 1月 2024 07:16)

    #3ひとかけら様のおっしゃられる通りです。
    「自分達の基準、価値観、考え方」に合う者のみに人権を認める。
    この様なエセ人権こそ糾弾すべきてはないですかね。
    サヨクさん達、
    大手マスコミ
    分かるかな? 分かんねぇだろうな〜。

  • #3

    ひとかけら (土曜日, 06 1月 2024 04:56)

    自称保守もサヨク・リベラルも自分の基準に合わない価値観について存在する価値がないと主張してるあたり「私」しかないと思います。大衆も自分たちの生活にしか興味がない所を見ると日本は「私」的国家だと感じますね。

  • #2

    リカオン (土曜日, 06 1月 2024 01:10)

    人権とはあいまいな言葉で、サヨク・リベラルは拡大解釈して気に食わない文化破壊をしてるように見える。
    一方自称保守も自分の好む価値観でなければ天皇制すら破壊する勢いだ。

    自分はリベラル的価値観を持っていると思っていたが、戦争論も違和感なく、反グローバルで、どうも一般的なリベラルとは異なるようだ。そこは小林先生の言うバランス感覚という事なのか。

    左も右も自分の価値観を修正せず、それにマスコミは乗っかって拡散するのみ。
    中庸はなく大人がいない。

  • #1

    グッビオのオオカミ (金曜日, 05 1月 2024 23:28)

    読み返して、思いましたけど、京都の祖父母の家の棒だらの煮物はえび芋があり、いわゆる「いも棒」でした。あと、その横にクワイの煮物もありました。京都風のおせち料理だったんですね。
    京都の祖父母と、鳥取出身の祖父母では方言も違っていました。
    文化は…身近なものから、深いものまで(特に言語などもそうでしょう)、一人一人各個人の中に"故郷"や"祖国"を作るのかも知れません。
    そう考えると、人権や権利という視点などはむしろ、それらを社会的に整理するための手段や道具に過ぎないのだと思います。