ワクチンではなく、コロナが原因で亡くなられた皆様の遺族会

 

投稿者:いいまつたかさん

  

 

 産経新聞報道ですが、ワクチンではなく、コロナが原因で亡くなられた皆様の遺族会もあるんですね。

 

タブレット越しの最期の別れ 「苦悩」を共有するコロナ遺族たち

https://www.sankei.com/article/20230729-RPMY434IERKIXIJJOPHXI5DAEQ/

 

NHKニュースウォッチ9の皆様もこちらを取材すれば問題なかったのに・・・・(あっ言葉が過ぎました。ごめんなさい)

 

そういえば故志村けん氏のご親族もそうでしたが、記事にある

「火葬場への立ち会いが許されたのは自分だけ。声をかけたい一心で棺に近付こうとすると、防護服を着た職員に引き留められ、骨を拾うことも許されなかった」

は、本当にひどい対応であり、これが本当に正しかったのか、今後のためにもしっかり検証されるべきと思います。

 

あとは・・・・やはり亡くなられた方のワクチンの接種歴も気になりますね。ご遺族には死者に鞭打つ様で申し訳ないのですが、やはり検証は必須と考えます。

 

 

 

(ねこだるまのコメント)  

 

コロナ状況下で悲しい死別をされた遺族の方には同情しますが……

 

ちょっと微妙なニュースだと思いました。

 

「コロナがインフル程度の安全な病気」

と認識するかしないかで、「遺族の悲しみ」の意味がまるで違ってくるのです。

 

コロナが危険な病気であるとするなら悲しい死別は「仕方のないこと」になりますが、

コロナが安全な病気とするならコロナ行政に対する「恨み」が発生することになります。

 

記事を読む限り遺族会の目的は「遺族の悲しみを癒すこと」であり、コロナの安全性、行政の理不尽には云々しないようではあります。

 

記事中の遺族の父が亡くなったのは令和3年。

当時は「全てはコロナと感染対策をしない人が悪い」という空気でした。

「全てをコロナのせい」にしてしまうのがよいのか悪いのか。

悲しみにくれている遺族にコロナ行政への恨みを上乗せすることがよいのか悪いのか。

考えてしまいます。

 

歯切れの悪いコメントで申し訳ありません。


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コメント: 4
  • #4

    ねこだるま (木曜日, 03 8月 2023 22:02)

    火曜コメント時は考えがまとまっていませんでしたが、
    やはりコロナ安全/危険に関しては嘘はつけないな、という感じです。

    私は周囲にコロナ遺族はいないし、遺族会の運動に参加するつもりもありませんので、周囲にコロナ遺族が出るなどして「他人事として突き放せなくなったら」という仮定の状況での話になりますが。

    コロナ状況の総括以前に現状把握が必要ですが、外部的な現実は5類化、個人の判断で等だいぶよくなってきてはいますが、人々の頭の中の問題としては、恐怖は相当残っていると思われます。ウイルス恐怖なのか、自分が大事な人にうつしてしまうという恐怖なのか、世間から危険と見なされることへの恐怖なのかが曖昧なまま感情だけが残っているのが難しいところですが。

    このままだと次に風邪程度の感染症が流行り、WHO がPCRを推奨すれば同じことが繰り返されるでしょう。
    そのためにはコロナ危険という観念を撒き散らすわけにはいかないと思います。
    悲しい死別をされた遺族に対しても

    「危険なウイルスだからしょうがなかった」
    「感染拡大させるわけにはいかなかった」
    「陽性者は死者でも隔離しなければいけなかった」

    というわけにはいかないでしょう。

    ただしこれ、恨まれるとか遺族の悲しみに塩をすりこむとか非難されるリスクがあり、相当な覚悟が必要だし、「べきこと」として人に強要できるようなことではないですね。

  • #3

    匿名希望 (水曜日, 02 8月 2023 12:46)

    市町村の公営火葬場管理者です。
    コロナ感染者の火葬については、県から通知やらガイドラインやらが送られてきましたが、職員に防護服着用や遺族に収骨させないことを求めた記述はありませんでしたし、また遺族の感情に配慮することを求める記述もありました(まぁ文脈から、とりあえず配慮みせとけ的なものだというのは読み取れましたが)。
    ただやはり志村けん事件はインパクト大で、コロナで死んだら防護服着用、収骨なしが当たり前だと当時の日本人に刷り込まれたように思います。
    なので無批判に県通知(おそらく他の都道府県でも似たようなものが出てると思われます)より過剰な対応をした火葬場もあるんでしょう。
    私の担当する火葬場でも、現場は防護服を着用しようとしましたが、県通知ではそこまで求めてない(死者から感染するリスクはほぼないって明記してあった。ビニール製の納体袋に入れることはマストでしたが)こと、県通知より過剰な対応をする根拠がないと説得して、納炉時間こそ他の葬家と重ならないよう配慮しましたが、あとは普通の火葬と同じに行いました。ご遺族のなかには収骨できるんですかと驚かれ喜ばれた例さえありましたが、それだけコロナで死ぬということは人間の最後の尊厳と、遺族が喪失を受入れる機会を奪っても仕方ないことと受け入れてたということなんでしょう。異常な世界です。
    まぁうちの火葬場はデレッキ操作(炉についたのぞき穴から長い棒で炉内のご遺体を難燃部に火があたるよう移動させること)が必要ない炉なので比較的現場職員の理解が得やすかったのだと思います。
    デレッキ操作の必要な火葬炉だと、コロナ死者の火葬はやはり職員としては怖いと思ってしまうだろうな。

  • #2

    sparky (水曜日, 02 8月 2023 10:56)

    骨を拾うのもダメとは…火葬直後の骨にウィルスが残っているとは考えられないし、職員の防護服は遺族を感染者・厄介者扱いしている故の重装備なのだろう。
    新型コロナの危険度がまだ見極められぬ過渡期にはある程度の行き過ぎた警戒も容認されるだろうが、危険度が大体判明してからも警戒レベルの調整をしないし、過去の対応への反省も「判らなかったから仕方ない」「過ぎた事をとやかく言うな」で潰してしまう。
    この経験を踏まえていずれ出現する次の感染症への対策を準備するなんて事もこの国は絶対にやらないというか出来ない。

  • #1

    牛乳寒天 (水曜日, 02 8月 2023 10:13)

    ご投稿も、コメントも、しみじみ拝見しました。
    コロナ遺族というより、いきすぎたコロナ対策で愛する死者とのお別れを歪ませられたご遺族と感じました。
    本当、コロナをどのように認識するかで考える方向性が全く別のものになりますね。国民同士の大きな分断の原因にもなっているし、その方が政策を考える輩にとっては都合がいいのだろうとも窺えます。